2021年10月22日

スナックの大家さん

 友人が深刻な顔をしている。どうしたのか聞くと「私の知人(Aさん)がスナックを経営しているのですが、大家さんともめているのです。」スナックの経営はことのほか順調なようで、固定客も付いているようだ。ただ大家との問題で、もしかして出て行くハメになる可能性があるという。「大家さんは朝鮮人?」聞くと友人はやや絶望感を漂わせながらうなずいた。

 船橋は朝鮮人の多く住む町である。町中にその人々だけが住む集落が点在している。そんな町に紛れ込むと、流れる風がニンニクの香りだったりする。壁を見ると近所の子ども達が落書きしているが、その全ての文字がハングルだったりする。船橋には南北を貫く東武線が走る。この建設労働に多くの朝鮮人が使われた。戦前の話しである。当時はまだ朝鮮総督府が置かれていた朝鮮半島の人々は高い賃金を求めて日本にやってきた。同じ国だからパスポートも就労許可も不要だ。仕事を求めて東京から福島の除染に行くのと同じ原理である。やがて戦後となり、多くの朝鮮人は故国に戻ったが、かなりの人々は日本に残った。彼らは偏見にさらされながらも必死に働き、稼いだお金で不動産を購入した。そのため船橋には朝鮮人(今は韓国人と呼ぶようだが)の大家さんが多い。彼らには独特の仁義や慣習があり、注意しないとトラブルの元になる。考えるにAさんは何も考えないで在日の大家さんから物件を借りたようだ。この手の借り手は全くもって世話が焼ける。

 ことの発端は単純である。空き店舗を見に行ったAさんは一目で物件を気に入り、契約することにした。ただガランとしたテナントには大きなカラオケマシンが1台置かれていた。Aさんは「これは何ですか」聞くと大家さんは「これは前に借りていたスナックの方が撤退の時に置いていきました」ここで最善の判断はこの機械を大家さんが納得する値段で買い取り、契約書を交わしてついでに贈り物でもすれば良かったのである。しかしAさんは前の賃借人が置いていった物なら大家さんと関係が無いからと判断し、そのままスルーした。最初の判断ミスである。

 さて、スナックの経営が軌道に乗り、客がスナックで気持ちよく歌を奏でている姿を眺めた大家さんは、自分が無料であげたような機械がスナック経営の推進役を果たしていると気づく。そして妬みの気持ちがメラメラと湧き上がる。ある日大家さんは開店前の店を訪ねた。「私があげた機械が稼いでいるね」「おかげさまで」「機械の使用料が欲しい。月○円でどうか」「だってあの機械は大家さんのではないでしょう」そんなやりとりが続き、次第に大家さんは店に毎日やってきてはカラオケ機械の件でもめるようになる。Aさんは頑として使用料を支払う気がなかった。相手が日本人ならそれで良い。しかし今回は違う。2度目の判断ミスである。

 ある夜、同じように客が歌っているまさに最盛期に突然酔った大家さんは店に怒鳴り込んできた。そして店中を破壊して回り、暴れ、最後に店の真ん中で大の字になって寝始めた。これには客もびっくり仰天。勘定もしないで逃げ出した。「カラオケ機械の使用料払え」そう叫んでいたという。結局Aさんはこのテナントを出た。もったいない話しである。韓国に友人がいる私からするときちんと仁義を通せば長く付き合える良い人々なのに、それをしない無知がもたらした悲劇(喜劇?)と言える。
posted by 渡邊政道 at 11:38| 日記

2021年10月21日

24回目の沖縄

 沖縄に障害児施設を設立してもう6年になる。コロナ渦の時期を含めて過去24回も沖縄に行くことになるとは人生わからないものである。元々私は沖縄が嫌いであった。ユタとかシーミー、ウンケイやウフケー、エイサー踊りなど霊に関する習俗が県民に根強く残っており、霊感の強い私がこんな島に1歩でも足を踏み入れたらたちまち酷い状態になることは目に見えていた。それでも嫌々ながらでも沖縄に通ううち、この島の魅力にどっぷり浸かっていく。年間平均気温が24度、真冬でも人々が歩道で立ち話(ユンタク)している常夏の状態は体を何となく弛緩させるに十分な気候であった。食べ物も合っていた。しかし移住する気は全くない。

 およそ1年ぶりに那覇空港に降り立つと、相変わらず戦闘機が飛び交い、台湾や中国の国境近くに来ている緊張感が高まる。成田までおよそ1700キロ。東京から上海と変わらない距離は国内であっても外国に来ているような気分である。久しぶりにトロピカルビーチの白い砂浜を踏みしめてみた。足裏に軽く反発する感覚は珊瑚のかけらで出来た砂の特徴である。強く青い色がきらめく海を見ると10月末だというのに何人もの海水浴客が浮かんでいる。頭が動かないところを見ると泳ぐというより海の感触を肌で感じているのかもしれない。遊泳エリアはクラゲ除けの仕切りの中にある。この外側では遊泳禁止だ。ハブクラゲは文字通りハブのように人を刺し、激痛を起こさせる。これ以外にも体の表面に毒針を纏った魚も多く、例え死んでいてもわずかに触るだけで数日は七転八倒で苦しむことになる。そんな危険な海の生き物に囲まれた沖縄はもはや日本ではなく、南方のどこかの島国と考えた方が良さそうである。

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 気温が32度を超えてきた。北谷にあるアメリカンビレッジに向かう。極彩色の建物と異国情調溢れる町並みは外国、特にスペイン辺りに旅行に来た異世界感が楽しめる。海沿いのレストラン街をぶらぶら歩くと、英語のメニューが並ぶ小綺麗な店が椰子の並木に沿って並んでいる。適当に喫茶店に入り、コーヒーとケーキを注文する。外のベランダにもテーブルと椅子が置かれ、アベックは大抵そちらで暖かい風に吹かれながら寛いでいる。私は一人なのでクーラーの効いた店内のソファに座り込む。天井でのんびり回る扇風機を見るとベトナムの地方都市で同じようにカフェで寛いだ記憶がよみがえる。その時はじっとりした湿気と温度が体にまとわりつくようだった。近くの教会の鐘が鳴り、開け放たれた窓から甲高い音が窓から飛び込む感じで入って来た。

 今はただ静かな東シナ海から流れる風が建て付けの悪い扉から吹き込んでくるだけである。
posted by 渡邊政道 at 12:32| 日記

2021年10月12日

電験1種

電気主任技術者試験第3種に合格した私は次にさらに上の資格である第2種を目指すことにした。但し、第2種を取得してもそれでどこかの電気会社に就職するとかの気はさらさら無く、ただ自分の頭の体操程度の認識しかなかった。さて勉強していて一番の難問は発送配電で、これに関する理論はやたらと難しい。神田の古本屋に行き、なるべく簡単そうな本を探すが、それでも微分方程式を駆使した難問は私を大いに悩ませた。その頃神田には明倫館なる理工系専門の古書店があり、ここの充実度は神田一だと思う。しかし難点は本が高い事で、内容の良い本は1冊数千円もした。仕方なく厳選吟味して数冊だけ購入した。

ある日、2種を勉強していて、もしこれに合格したら次は1種を受けるのだろうな。そんな思いが脳裏をかすめると、これは2種を飛び越して1種を受けた方が良いのではというまことに大胆な発想が生まれてきた。試しに過去問を見ると何となく解けそうな気がする。調査すると3種と2種の間のギャップより、2種と1種の間のギャップの方が狭い気がする。ならいっそのこと1種を受けるか。そう考えて1種の勉強を始めた。1種は受験者が極端に少ないらしく、参考書がほぼ皆無である。仕方なくまた明倫館に行き、過去問と解答のセットになった本を購入し、あとは1冊5万円もする電気技術大辞典を購入して勉強した。

さて、とうとう試験当日になり、何とか1科目でも合格するべく試験に挑んだ。試験終了後、何かの受験対策会社の人が「試験の模範解答説明会を行います。希望者はどうぞ」そう言うので「これは渡りに船だ」とばかりに説明会場にぶらぶら歩いて出かけた。会場は50人ほどの人々が集まり、みな試験で心身ともに疲れ切った顔をしている。私はほぼ先頭に近い席に陣取り、模範解答が発表されるのを固唾を飲んで見守る。やがて講師が現れ「これから模範解答と来年の試験に向けての傾向と対策をお伝えします」。しばらくは静かに授業が流れた。私はノートに解答を書き取り、今年は理論は何とか合格したが他はダメかも。そんな事を考えながらペンを走らせていた.

その時である。いきなり講習会場に来ていた男が立ち上がり、「その解法は素晴らしいと思います。ルジャンドル変換が・・・」としゃべり出す。このおしゃべりが10分ほど止まらない。回りは講師の話が聞きたいのにこの男は自分がどのように勉強してきたか、どんな解法が良いのかを延々と解説する。しばらく黙っているかと思うとまた弁舌が始まる。1時間の講習の3分の1はこの男の弁舌を聞かされることになった。私はこの男が発達障害の1種である自閉症スペクトラムであることに気づいた。これは困った事になった。どうしようか。帰るか。迷っていたら講習が終了してしまった。しかし終わっても男の弁舌は止まらない。自分の身の上話まで始まる。聞くところによると、電験1種に命をかけているようで、そのためにまともな仕事にも就かないで勉強しているとか。この辺りから私は逆に面白くなり、皆がゾロゾロ帰っても、この男の話を聞いていた。最終弁論が終了すると男も帰り出した。

私はこの事件をきっかけに電験1種受験をやめた。バカバカしくなったのである。その後、1種理論の合格通知が届き、このハガキは記念として大事に保管してある。
posted by 渡邊政道 at 12:50| 日記